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香春町の文化財

公開日:2024年3月7日

香春町の文化財

香春町の概要~歴史と文化の香る町~

本町は、昭和31年(1956)に香春町、勾金村、採銅所村の三町村の合併が行われ、近年60周年を迎えました。福岡県のほぼ中央、田川郡の東北部に位置し、東西6.45キロメートル、南北10.68キロメートル、四方を緑の山並みに囲まれた面積44.56㎢、人口1万2千人を有する自然豊かな景観を誇る町です。町の中央やや西寄りには、五木寛之の小説『青春の門』や『炭鉱節』で一躍全国的に名を馳せた奇峰「香春岳」三山が、屹立しております。また、本町は、万葉の昔から栄えた長い歴史をもち、文化遺産も多く、近世においては、田川市郡の政治、経済、文化、教育等の中心地でもありました。
香春岳

香春町の歴史と文化財

  • 旧石器時代
    田川地方に人々が生活し始めた初現は、後期旧石器時代で約3万4千年前に始まり、香春町では約2万2千年前頃の遺跡が見つかっています。五徳畑ヶ田遺跡で瀬戸内技法の影響を受けた横長剥片素材で一側縁加工のナイフ形石器と湯無田遺跡出土の細石刃が発見されています。

  • 縄文時代
    縄文時代は今から1万3千年前頃に土器が作られ始めた頃から稲作が始まる2400年前までの間を言います。香春町で1番古いもので早期の押型文土器が見つかっていますが、湯無田遺跡から縄文時代中期の船元式土器が集中して出土しています。五徳畑ヶ田遺跡からは後期の三万田式土器片や晩期の広田式土器片、打製石斧が多量に出土しています。注口土器や土偶なども出土しています。また、二の岳遺跡にて黒曜石石鏃が1点発見されています。

  • 弥生時代
    弥生時代は紀元前400年頃から紀元後250年頃までを言います。この頃は香春町でも遺跡の数が一機に増加し五徳畑ヶ田遺跡、ミノ・大熊遺跡、宮原遺跡、岩原遺跡、上高野遺跡、一本松遺跡などから集落跡や墓地が見つかり多量の甕、高坏等の土器や磨製石斧、石戈、石鏃等の石器が出土しています。宮原遺跡は、「長生宜子」銘大型内行花文鏡をはじめ4つの青銅鏡を出土した石棺墓群墓もあります。浦松古坊遺跡では弥生後期から終末期にかけての石棺墓、土壙墓合わせて20基確認されています。近隣では、川崎町公門原遺跡や田川市桐ヶ丘遺跡、その後に続くと思われる出現期古墳の田川市位登古墳があります。前方後円墳に大型の箱式石棺を採用し内行花文鏡を副葬しています。

  • 古墳時代
    古墳時代は弥生時代にも墳丘を持つ特別な墓はありましたが、一般の人々とは規模も異なる大型の前方後円墳が出現する250年頃から600年頃までを言います。前期の石棺墓、6C初頭の純金製耳飾り出土の1号墳がある長畑遺跡をはじめ、香春岳西山麓にわりと早い時期の横穴式石室をもったクナタ山古墳、小倉古墳、一ノ島古墳などの古墳が、集中しています。この周辺には、五徳畑ヶ田遺跡や浦松遺跡をはじめとした集落も見つかっており香春町の中でもムラと呼ばれる地域です。その後、古墳の中心はその周辺に移るようで河内王陵墓が存在する鏡山地区、金辺川の東岸の丘陵上に立地する松丸古墳周辺、田川地方でも最大の40数基が集中する田川市夏吉古墳群へと移行しているようです。また、祓川南岸に、中津原横穴墓群の一つにあたる才立横穴墓が1基発見されています。
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  • 古代
    古代は飛鳥・奈良時代、平安時代の前半頃までを言います。香春は「豊国の香春は吾宅紐児にいつがり居れば香春は吾家」の歌を始め、七種の歌が詠まれている『万葉集』や香春の由来等が記載されている『豊前風土記』などの古文書から遠の朝廷(とおのみかど)大宰府へ向かう官道の宿駅として栄えていたことが読み取れます。有名なのが香春の銅で宇佐八幡宮の御神鏡を造り奉納をしていたことや奈良の大仏造営にこの銅が使われた伝承も残っています。長光遺跡や宮原金山遺跡では銅や鉄の製錬を行っている場所も確認されています。浦松遺跡では7、8Cの豪族の屋敷を思わせる大型居館が出土し、五徳畑ヶ田遺跡では9C頃までの須恵器や土師器が多量に出土しています。香春町鎮西と田川市上伊田には7C末の上伊田廃寺があります。その後、最澄が渡唐するため、香春を訪れ、香春社を詣でています。その後、香春神社は官社に昇格し天台系寺院が六坊造られました。
    このように香春岳周辺の香春地区、鏡鋳造の地である採銅所地区、万葉集にも記載されている鏡山地区、香春と接する上伊田廃寺周辺が核となり、香春郷を形成していたのでしょう。

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  • 中・近世
    中世は平安時代後半から室町・戦国時代を言います。中世には、勾金荘・香春神社・香春岳城などの資料や史跡が残されています。勾金荘は宇佐八幡宮の所領で到津と同じくらい非常に大きい荘園で荘内には宇佐宮末社の鶴岡八幡宮が勧請されている。源為朝屋敷跡伝承地もあります。鎌倉時代は豊前守護の武藤(小弐)氏が治め室町時代初めには大内氏や時には大友氏などの支配下にあり戦国期においては、高橋氏が本城として構えたところです。応永の猪岳合戦の軍記物や香春岳落城秘話などが残っています。天正期には、秋月氏とも関係の深い高橋氏が豊前を治め、豊臣政権下には毛利氏、関ヶ原の戦い以降細川氏が入国し、熊本へ移封した後、田川地方は小笠原氏の領地となりました。秋月(小倉・猪膝)街道の宿場町や商業の中心地として栄え、芸能などの文化も花開きました。また、田川郡のお茶屋(小笠原藩支庁)も置かれ、鍋島藩などの諸藩大名や幕府の要人なども立ち寄りました。幕末には、長州合戦後、小倉から香春へ藩庁も移り三年間、政治を執りました。最終的には豊津で廃藩置県を向かえ近代へと進み始めます。

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  • 近代
    明治以降は、田川郡の中心として郡役所や警察署などの公共機関もおかれました。炭坑が盛んになるにつれて今の田川市に中心地が移行していきましたが、湯山荘などの温泉や神宮院などの梅や史跡など憩いの場としても有名で種田山頭火の日記などにも登場しています。
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お問い合わせ

生涯学習課 社会教育係
窓口の場所:町民センター 1階
電話番号:0947-32-8410
ファクス番号:0947-32-2513

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